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気紛れな詩歌い

天賦留(てんぷとどむ・てんぷる)です。自称Webミンネゼンガー(吟遊詩人)です。ただ多趣味&凝り性による多忙につきほぼブログ発信のみとなります。ご了承下さい(-_-;)読み逃げ歓迎(笑)

やたらと多い福岡県出身の芸能人のルーツは?を私感でまとめてみた

こんばんは。
難しいテーマのブログからこのようなテーマブログにして月曜日を向かえたいのであえて発表します。
ようやくこのテーマに関して文章を書く事が出来ました。
経緯についてはページ下部にあります過去ブログ(ブログ開二ヶ月に感謝)をご覧下さい。
面倒かな。
やはりリンクしておきます↓

ブログ開設2ヶ月に感謝 - のほほん気紛れ詩歌い

予定②完了。
予定③もう少しお待ち下さい。
そしてこの文章はあくまでも私感を含んで書いておりますのでその点はご容赦下さい。

では参考記事↓

橋本環奈らを輩出するアイドル量産地・福岡、良質な人材が生まれるワケ (オリコン) - Yahoo!ニュース

この手の文章は福岡県出身のカリスマ有名人が出る度に出てきます。
松田聖子さんの時には比較としてはなかったと思います。
有名ミュージシャンが多数出始めた時期には専門誌などでは書いてあった可能性があります。
僕が最初に見聞きしたのはチェッカーズが爆発的人気者になった時でその後浜崎あゆみが人気者になった時にも同様の文章を読んだ記憶があります。
芸能・音楽ライター側としては解りやすい歴史を刻んでいるので書きやすいし読み手としても解りやすいので重宝されるのでしょう。
でも上記の文章、少し歴史的には違っていて有名になった元祖にあたるのは「氷の世界(1972年)」で有名になった井上陽水さんです。
この事実を先に書いておかないとバランス的におかしくなりますので。
また昨年残念な事件を起こした影響かチャゲ&飛鳥(あえてこの表記です)の名前がないのは残念です。
仕方ないか。
また近年でも(書いていませんので僕が書いておきます)スピッツ草野マサムネさん・椎名林檎YUIなども輩出していますからアーティスト系でも強いですね。

そこで素朴な疑問点。
では何故この順序なのでしょうか?
それは福岡県の音楽史を語る上では欠かせないライブ喫茶「照和」の存在があるからだと僕は思います。

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この写真しかなかった(泣)
因みにこの写真の中で福岡県出身の人は両端の方々と左側二番目の人です。
お3人についてはこれから文章中で説明します。
その「照和」から最初にデビューしてデビュー翌年(1973年)に「心の旅」で有名になった
チューリップ
です。
その成功が刺激になり武田鉄矢さん(先生役など俳優のイメージしかない人が今では多いと思いますがミュージシャンです)が率いる海援隊がデビューして「母に捧げるバラード」をヒットさせ、少し時代を経た後にも有名になった甲斐バンド長渕剛さんなども出たからこそ「福岡は日本のリバプール」と言われるようになったのです。
確かにこれだけ突出したら言われますよね。
また別路線にて出現したタモリさんの存在も福岡県出身の芸能人の格を上げた一員ではないでしょうか。
そして松田聖子さんの出現により福岡県出身のアイドル路線の祖が確立された(ように僕個人は勝手に思います)事は後に酒井法子(まだタブーかなぁ)を輩出したように「福岡県でもアイドルは出る」という機運が出たのだと解釈出来ますしその後の…
後は引用元の文章にお任せします。
でも福岡県が景気がいいとは。
羨ましい話です。
福岡県の方、本当ですか?
引用元の文章による今に至るまでの課程については納得出来ますしその点では福岡県は凄いと感じます。
そこで福岡県出身の芸能人を念のために調べてみました。
びっくりした事があります。

http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E5%87%BA%E8%BA%AB%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%89%A9%E4%B8%80%E8%A6%A7

福岡県出身の人物一覧 - Wikipedia

にて一応調べてみてびっくりしたのは西内まりや君は以前から知っていましたが…

えっ(驚)
山本美月君も福岡県出身とは知りませんでした。
共に美人ですよね。
橋本環奈ちゃんといい今凄い事だと改めて感じました。
久々に来た福岡県出身の芸能人ブーム。
そして今後も気になっている人の出身都道府県は調べてみます。
今後どうなるかな?

でここまで書いてから話を振り返り写真の補足を。
この部分の方が実は長い。
このように(その前に井上陽水さんはいますが)福岡県出身芸能人の流れで最初に名前が出てくる事が多いチューリップ。
今ではかなり地味な印象でしかありませんし僕個人も地味なバンドのイメージです。が個人的には好きな音楽をしていました。それはグループの流れがそうだったからではないのかなぁと勝手ながら感じます。
因みに僕は個人的に70年代前半の曲はダイレクトにほぼ聞いていません。
先程「心の旅」がヒットしたと書きましたが作詞作曲者はリーダーの財津和夫さん(写真左から二番目)ですが「心の旅」でのリードボーカルは姫野達也さん(写真右端)でした事も後に影響を与えたのかもしれません。
普通バンドのボーカルが変わる事はあまりなく(売れた段階で決まる事もある)そのまま固定されるものですがチューリップは後々には元に戻しました。
「心の旅」以降暫くアイドル路線的扱いを受けた(その後二枚のシングルはやはり姫野達也さんのリードボーカルとなりました)事による弊害がありアーティストへの軌道修正の意味合いがあったようです。
話を少しだけ時代的に振り返ります。
メインボーカルを元に戻しましたというのはデビュー曲と二曲目のシングルのリードボーカルは財津さんでしたがスタッフなどの意見によりボーカルチェンジしたとの事です。
それで結果が出たのだから運命はわからないものですね。
では戻ります。
今でも有名な曲としてはドラマで使われた「サボテンの花」や今でもコマーシャルで使われる事のある「青春の影」ですがこの曲は元々財津和夫さん作詞作曲リードボーカルの曲なのですがそれらの曲は軌道修正後に発表された曲です。
より具体的に言えば軌道修正の為に出した曲が「青春の影」(1974年)であり「サボテンの花」は1975年の曲です。
そう考えるとイメージはややぼやけてしまいましたが行動としては正解だったのではないでしょうか。
また敢えて寄り道。
そう言えば後のサザンオールスターズがデビュー当時はコミックバンド扱いだったのを払拭してアーティストへの道標を切り開いたのが3枚目のシングル「いとしのエリー」であり評価された事は有名ですよね。
サザンオールスターズはリアルタイムで知っている世代です。
話をまた戻します。
上記の曲のうち「心の旅」と「サボテンの旅」は一時期地元福岡県の西日本鉄道の一部の路線にて車内メロディーとして採用されていました。
その鉄道の話題が最近ありましたのでついでに紹介します↓

西鉄313形が引退=62年の歴史に幕 (時事通信) - Yahoo!ニュース

当然この電車でも流れていたのだと思うとなんだか寂しく感じます。
寄り道が多くなりましてすいません。
そしてようやくまとめます。
つまり井上陽水さんだけだとたまたま感で済む出来事がライブ喫茶「照和」から多数のミュージシャンが出てその最初の成功例がチューリップ(後々の人の見本となってはいましたが後々の人々が各々頑張って有名になった事が主要因ですが)だった事により福岡県出身の芸能人成功例の文章の最初に名前が出てくるのがライブ喫茶「照和」でありチューリップである、という事になっているようです。
おまけ知識として財津和夫さんは後に松田聖子さんの「チェリーブラッサム」「夏の扉」そして僕が以前のブログ

著作者人格権 - のほほん気紛れ詩歌い

で紹介した(ブログ発表当時は全てぼかしましたが今なら書けます)沢田知可子さんの「会いたい」の作曲者でもあります。
それにしても上の訴訟騒ぎその後どうなったのでしょうか?
いづれにしても今後も福岡県出身のカリスマ有名人が出てくる度に語り継がれていくという福岡県出身者多数の歴史の私的まとめでした。
それにしてもこの文章、理解出来る人いるんだろうかなぁ?

ではではまた。



最後にこの事を書いておかないといけません。
写真の左端の方はギター担当の安部俊幸さんでした。
昨年9月にお亡くなりになりました。
残念でなりません。
改めてご冥福を祈ります。


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